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誕生秘話

誕生秘話

琉球フットボール協会誕生秘話

2014年、当時交流のあった台中市(台湾)サッカー協会から「東アジア国際交流サッカー大会」を開催するにあたり沖縄のチームも参加して欲しいという要請を受けた。
そこで、沖縄県内の大学生と社会人による選抜チームを出場させることになった。当時、とくに出場するにあたりチームの名称なども決めていなかったのだが、先方から送られてきた大会要項に目を通すと、仮でチームの名称を「琉球」と表記していた。
台湾から沖縄に行ったことのある人なら目にしたことがあるかもしれないが、飛行機の行き先を告げる看板には、未だに「琉球」と書かれている。公式なもので、沖縄のことを琉球と表記するものは、今の日本には存在しない。
しかし、【世界に出てこそ「琉球」を感じることができる。】と感じた宮城亮は、チームの名称を「琉球代表」と命名。
その後2014年・2015年と、この台中市で行われた大会に出場するためだけに活動を行っていた。

しかし、ある出来事で一変する。

宮城亮が、ある取材を受けることになった。それは、2010年1月から2013年1月まで所属していた、Jリーグ2部のFC岐阜の元社長今西和男氏についての取材だ。

「オシムの言葉」などでも有名な筆者として木村元彦氏だったのだが、今西和男氏について書いた「徳は孤ならず 日本サッカーの育将 今西和男」という本の中で、当時のクラブについて書くためだ。その取材の後の雑談でこんな話になった。

木村さん:「宮城さんは普段は何をしているんですか?」

宮城:「今は、琉球代表という選抜チームで、台湾などの東アジアで大会を作って出場しています。」

木村さん:「それはどんなチーム?」

宮城:「実は…」※2014年から2015年の大会の話などを行う。

木村さん:「おお、それは凄い!宮城さんConiFAって知ってる??」

この一言がきっかけで、琉球代表は琉球フットボール協会への道を進むことになる。

更なる世界の舞台を目指して琉球フットボール協会が設立

木村さんによると、こうだ…。
知人が、ConiFAというFIFAの大会に出場できない国や地域の人たちが参加する世界大会を追っかけていて、
そこに「日本からも参加できるチームがないか?」と探していたのだというのだ。

特に沖縄は、琉球王国であったという歴史的な背景がありスポーツ交流という意味でも、
とても面白く、この大会の参加に相応しいチームではないかと話は盛り上がった。
そして、宮城はすぐさまその場でConiFAに加盟したいという意思を伝える。

そこで実川さんを紹介してもらい実川さんを通してConiFAに加盟の意思を伝える。
そのタイミングが2015年11月である。

その際の組織の登録手続きの際に、
きちんと協会として登録しなくてはならないことに気づく。

そこで登録の為に「琉球フットボール協会」を設立したのである。

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